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桃薫る里

     桃薫る里(10)


「ささ、弥之助どの、こちらへ」

伊織の快気祝いにと城に呼ばれた弥之助は、盛んに酒を勧められてすっかり酔いが回り、まだ宴が終わる気配も無いために、少しの間別室で休ませて貰うことになった。

熱気に満ちていた部屋から藤丸に手をひかれ渡り廊下へ出ると、早春のひんやりとした夜気がほてった顔に気持ちがいい。

「す・・・・すみませぬな、藤丸どの」

「ふふ、足下がふらふらなさっておられますぞ、しっかり私におつかまりください」

さほど背丈も体格も変わらない藤丸だが、紅色の振り袖姿がたおやかなながら弥之助を支える腕にはしっかりと筋力が有り、武道をたしなんでいるものの強靱さを伺わせた。

導かれた先の小部屋には既に夜具がしつらえられており、夜具にたどりつくなり、弥之助はへなへなと腰を下ろす醜態ぶりだ。

この国は雪解け水が良質の名水をもたらすために、口当たりの良い美酒が出来る。

もとより、弥之助はあまり酒には強い方ではないし、江戸ではさほど酒を好まぬほうだが、この国の美酒はやはり旨く、口当たりのよさについつい進められるままに飲んでしまうので、気が付けば自分の限界を超えてしまうことも多かった。

「さあ、しばらくお休みなされませ」

行灯の火を一つだけ灯し、薄暗がりの中、弥之助だけが残される。

「そうそ、弥之助どの。深酒は身を滅ぼしますぞ、お気を付け召され」

月明かりに照らされた廊下に立った藤丸が扉をゆっくりと閉めながら、妖艶な笑みを浮かべながら独り言のように小さくつぶやいた。

泥酔してしまってから、言われても・・・・・と、眠りに落ちながら、弥之助は藤丸の美しい顔に浮かんでいた蒼い炎のような気配がどこかに引っかかっていた。

それが何なのか、もう一度考えようとするのだが、眠りに深く引き込まれ弥之助は考えることを辞めてしまう。
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  1. 2008/06/12(木) 09:23:05|
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桃薫る里

  桃薫る里(9)

「弥之助!」

何度か呼びかけられて居たのだろう、ぼんやりと物思いに耽っていた弥之助に痺れを切らした正千代がおもむろに肩をつかみ、きつい口調で名を呼んだ。

「あ・・・・・・申し訳ありません」

間近に退治する形で、弥之助は詫びたが、少し上にある正千代の整った顔に視線を奪われた。

普段どこか斜に構えたような表情をしていることが多い正千代だが、こうやって改めて見つめ直すと、高貴な顔立ちとはこういうのをいうのだろうなと合点がいく。

キリリとした男らしい顔立ちでありながら、まだ、頬の辺りは少年らしくふっくらとしており、肌などは雪国特有のきめの細かさで、江戸の女性ならみながうらやむほどの滑らかだ。

「で、どうなのだ?」

眉根を寄せ、またずぃっと、息がかかるほどの距離へと正千代は顔を近づけてくる。

「そ・・・それは・・・・・わたしは江戸の潔斎先生よりこちらへ使わされた使いの者に過ぎません。指名を果たし終えれば、江戸へ戻り、師匠に報告もしなければなりませんし、勉強をつづけなければ・・・・」

正千代にそう答えながら、弥之助は、そうか・・・・もうじき、帰るんだなと自分自身に言い聞かせていた。

帰れば、多分二度と羽生藩へ来ることはないだろうとも思う。

それだけ、江戸とここは遠い。

やあ、やあ、また遊びにきましたぞと、気軽に行き来できる距離ではないのだ。

「そうか・・・・・・そうだの・・・・」

不意に掴んでいた手を離し、正千代はこくりと頷いた。

その後は、無言でしばらく弥之助を見つめていたが、くるりと踵を返しそのままスタスタと母屋に向かって歩いていく。

「若さま?」

なぜ、正千代が、江戸へ帰るのかなどと、至極当たり前な事を尋ねるのかはわからなかったが、心のどこかで、もうしばらく居れぬのかといつもの傲慢な命令口調でいわず、あっさりと納得されたことが、弥之助を少し物足りない気持ちにさせた。

春の日差しに照らされた中庭を歩いていく正千代の背中を、走っていって捕まえたい衝動に駆られたが、弥之助は一歩もその場から動くことが出来なかった。

捕まえて、殿上人である正千代に何を言うのか?

自分自身に問いかける。

背に手を掛けること自体、下手をすればお手討ちされてもしかたのないほどの身分の人ではないか。

正千代が居なくなった中庭は、木陰の根雪もほとんど解け、沢山の蕾をふっくらと膨らませている桃の木は、気の早い花がいくつか桃色の花びらを綻びだし始めていた。


  1. 2008/05/25(日) 10:54:23|
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桃薫る里

          桃薫る里(8)

普段は気位が高く、高慢な少年が時折見せる寂しげな表情に戸惑いを隠せない弥之助は、数度短く息を吸ったのち小さなため息をつく。

「若君がここで流行病などに罹られては、私で済めばよいですが、責任者である伊織様がお叱りを受けることになるのですよ?」

語気を和らげて声を落とすと、伊織のためにも、診療所への日参は良くないことだと、噛んで含めるように弥之助はいった。

「ならば・・・・・母屋までならよいか?」

正千代は視線を未だ伏せながら、訪ね返す。

「伊織様も後10日もすれば、お仕事にも戻れましょう。
それまでは毎日退屈すぎて困ると仰られているので、私が診療中は若君がお相手してくだされば喜ばれますよ」

「のぅ・・・・弥之助?」

指で畳の縁を意味もなくなぞりながら、正千代が再び訪ね返す。

「なんです?」

「伊織が患者を診れるようになったら、そなたは江戸へ戻るのか?」

当たり前の事を尋ねられ、弥之助は一瞬言葉を無くした。

「弥之助?」

弥之助の名を再び呼びながら、伏せていた視線をゆっくりと、黙り込んでいる弥之助へと正千代は上げた。

弥之助は初めて考えることのように無意識に額に手をあてた。

胸が少し重苦しい。

それは後少しで箇々を去るのだと思うと、胸の中に北風が吹くような寂しさを覚えたからだ。

江戸とは違い、若干うっとうしささえ感じられるほど、親切な人々。

図らずも本来ならまともに顔を見るのも恐れ多い殿上人である領主代理の正勝や今目の前にいる正千代に旧知の仲でもあるかの如く懇意にしてもらった、なんとも不思議な日々。

潔斎に命ぜられ、こんな奥深い藩へ旅立つ時は、江戸から離れるのがあれほどまでに嫌だったのに、そのことが嘘のように、弥之助はここの暮らしが気に入っていたのだ。
  1. 2008/05/06(火) 18:09:26|
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桃薫る

       桃薫る(8)

「若、何度も申し上げておるように、ここに毎日来られるのはおやめになるべきです」

総髪を白い鉢巻きで邪魔にならぬようにとめ、白衣を着た弥之助は、咳の酷い子供の喉を見ながら、言った。

心配そうに子供を抱きかかえている母親は、弥之助の斜め後ろであぐらをかいている身分の高そうな若者が気になってチラチラと視線を遣っている。

「お主の小言は耳にたこが出来るほど毎日きいているぞ」

「ここの所流行っている感冒ですね。喉が赤く腫れていますから、これから熱があがるでしょう。水分をたっぷり与えることと、薬を飲ませて暖かくしてやるように」

母親にそう言うと、弥之助は伊織の弟子を務めている春臣という名の少年に母親に渡す薬を説明した。

「ここには怪我の者だけが来るわけではないのですよ?今のように流行病の子供だって沢山くるんです」

一段落して、手を洗った弥之助はくるりと体を反転させ、正千代の前で膝を正した。

「それがどうかしたのか?」

「いいですか?病気というものは、自分一人だけの体に起きる病気と、人から人へ移る病気の二種類があるのです」

「それぐらいは医者でのうても知っておる。病気の者に触ったり近づいたりすれば移るのであろう?」

「わかっておられるのなら、なぜここに毎日来られるのです?」

キッと睨み上げた弥之助の顔から、正千代はしかられた犬のように目を伏せた。
  1. 2008/04/22(火) 20:53:32|
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桃薫る里

            桃薫る里(7)

御典医なるもの、本来は城仕えであり、城下には町医者という者がいるものなのだが。

伊織の人柄か、藩自体がおおらかな考えなのか、必要なときにはもちろん城からの呼び出しがあるが、普段は離れが城下の人々の為の診療所のような役割を果たしていた。

先日、正千代に連れられて入った立派な門とは反対側の勝手口が診療所の出入り口になっており、そこからはすぐ離れへと入れるようになっていた。

江戸では考えられないが、立派なお屋敷の勝手口には夜間以外閂もかかっておらず、誰が出入りしてもわからないほど自由に出入りできるようになっている。

一日に一回登城して、殿や老中達の具合でも悪くない限り案外のんびりしたものだろうと弥之助は江戸を出るときに考えていたのだが、いやはや、しばらく伊織が診察できなかったこともあり、診療所が再開したと耳にした人々が次々とやってくる。

武士や町人はちゃんと診察料を払っているようだが、百姓達は大根やら白菜やらを背負ってくるところ見ると、ここでは、そう言ったものが診察料代わりになっているようだった。

診療所は、商店や飲み屋とは違い、訪れる客層が決まっていない。

老若男女がそれこそ、羽生藩の城下町どころか遠く点在している村々からもやってくる。

伊織先生の所に、江戸から若いお医者様が来たという噂は、弥之助がここについて5日もしないうちに、藩全土に広がったのだから、人の口とは恐ろしいものだ。

ましてや、毎日のようにふらりと伊織の所に正千代が来るのは新しい先生にご執心だからなのだとか、いやいや時折高価な贈り物を次期当主の正勝様が送って来られているようだとか、普段あまりにも平穏で代わり映えのしないこの町には恰好の噂の的になり、ことわざ通り、人の口には戸が立てられないものである。
  1. 2008/04/14(月) 15:14:07|
  2. 小説
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